11th lecture
歴史とは何か

 先学期に出したレポート課題「宇宙史上の十大ニュース」の優秀論文がホームページに掲載されているが、出来には相当ばらつきがあった。特に歴史については、知識や興味の有無で大きな開きがある。そこで次の学期には、「歴史をどう捉えるか」をスケッチ的に話していく予定である。
 大切なのは、世界を時間的に動く、ダイナミックな存在として捉えることである。先学期紹介した、ハックスレーの「世界を進化の相のもとに見る」方法がその一例である。 その対極にあるのが、スピノザの「世界を永遠の相のもとに見る」という考え方である。現代科学以前は、ニュートンの絶対空間・絶対時間という概念が主流だった。これは、この世界が永遠の相のもとで不動で静止的であるとの考えに基づいていた。
 しかし、科学者の認識の深まりにつれて、「世界は動的なものである」という考え方が広まってきた。世界は時間的に動き続けてきたし、今も動いているというのだ。
 この概念の転換は、現在に至る経過の中で最も大きな変化だと思われる。
 ギリシャ時代、ヘラクレイトスは「パンタ・レイ」(=万物は流転する)と述べた。
 例えば川に足を突っ込むとする。水は絶え間なく流れ動き続けているが、川は川のまま、足は足のまま変化しない。同様に、世界のすべては刻一刻ダイナミックに変化し続けているが、ある相から見れば不変であるようにも見えるだろう。これが「絶対空間・絶対時間」の概念を産んだのではないか。
 静的/動的の二つの考え方の対立は、遠くギリシャ時代からあった。そしてその歴史の大半において、「静的」のほうが主流だった。しかし現在では、ほぼ完全に「動的」のほうが本当だということになってきている。

 ここで、生命の発生について考えてみる。
 物質進化の中で、どのようにして生命は生まれたのか? 生命とは何か? この問いを考える上で中心となるのは、プリゴジンの散逸構造(dissipative structure)であろう。
 エントロピーが常に増大していくこの世界の中で、この流れに逆行する生命というシステムがなぜ成立するのか。散逸の考え方に従うと、エントロピーは、エネルギー拡散の系である。その中で発生する散逸構造は、流れの中に現れるパターンとして説明される。これは、哲学的にはヘラクレイトスの主張と一致する。
 流れの中で相が成立する「しかた」の解明はいま、複雑系の分野のターゲットとなっている。実際に起こっている現象について、大づかみに「こう動いているらしい」ということはわかっても、具体的にどの物質がどう動いて現象となっているのかはわかっていないことが多い。いまそういう現象の解明に、科学が集中的にメスを入れている段階である。

 一方、社会学についてはどうだろうか。
 ダーウィンの進化論発表の後、イギリスでスペンサーの「社会進化理論」が発表された。これは進化論をそのまま歴史の解析に持ち込んだもので、「歴史上の優占種」などという発想からナチス・ドイツの優生学的思想の元となったため評判が悪く、今まともに相手する人はいない。しかし、時代によって変わる社会の structureを見るという意味での「社会進化理論」には十分意味がある。
 学習することの意味はおそらく、今我々がその一部を成しているすべての社会(自然/動物/人間を問わず)をよりよく理解することにあると思われる。またその理解によって、世界がこれからどう動くかを見極め、自分の行動を選択し、決断するのである。
 どんな相において見るときでも、歴史の「流れ」を抜きにして現在を捉えることはできない。歴史上の現象はすべて、歴史的制約/条件付けのもとに成立している。
 過去をきちんと確認した上でなければ、現在は捉えられない。そういう世界に我々はいるのである。

 前々回人工生命について話したが、この研究の新しさについて述べておきたい。
 今までの生命研究は、今ある生命の解析に終始していた。しかし人工生命研究は、サイバースペース上で、初期条件をいろいろに変えながら生命の誕生――進化――死をシミュレートする研究である。今ある生命のありかたは1種類だが、初期条件や進行によっては違う形の生命もあり得たかもしれない。従来の研究が「いまある生命」=life as it is の研究だとすると、人工生命研究は「あり得た生命」=life as it could beの研究と言える。広い可能性の幅の中から、時代の転換点ごとに狭められてきた経緯を探るのだ。
 哲学用語では、あり得た選択肢のことを「可能態」、実際に起こったことを「現実態」という。多くの可能態の中から、ただ一つの現実態が選ばれる。なぜ、どのようにそれが選択されたのかを探るのが歴史学である。
 この概念は、現在を考えるための重要なキーになる。つまり、今目の前に提示されている「可能態」はなにか。幅はどこからどこまでなのか。そして「現実態」として唯一選ばれ、開かれてゆくのは何なのか。その手がかりを与えるのが歴史なのである。

 別の見方をすれば、いかに多くの可能態があったとしても、現実態として選ばれるのは一つだけである。過去は一通りしかない。これは、世界が時間の矢に貫かれている=この世界は不可逆の世界である ことを意味しているのではないか。プリゴジンは、dissipative structure から不可逆性を導いた。ではこの「不可逆性」を、人間社会の歴史を考えるのに使用したらどうなるだろうか。


歴史を見る観点  

時間の矢に貫かれた世界として自然も人間も存在するが、人間社会を考えるときには、人の歴史の上を行く自然の歴史から汲み取れるものがある。まず、マルキシズムなどで言われる「歴史の法則」というものは、大抵が嘘である。人間社会は複雑系の極致であり、まして時間を観点に入れた場合、その複雑さはますます増すことになる。 自然界の散逸構造として生まれたものが自己組織化であり、このような突然の相転移的変化は階層構造の異なる人間社会にも何度かあった。そういう視点を持って我々の歴史も見て行かなければならない。 一番大事なのは、今いる同時代をどう見るかである。同時代史というものは本当に分からない。いろんな層を歴史的経緯で見なければならないからである。例えば、『日本共産党の研究』は、その時代を自らの体験として知っている人にショックを与えた。体験していない人間は当時の社会からある構造を取り出すことが出来るが、体験している人にはその社会がゲシュタルトとして見えているのである。自分の時代というものは分かっているつもりで実は分かっていない。客観的に見られるのが歴史というものなのである。 歴史家のカーに、こういう言葉がある。

「事実は自ら語るという言い習わしがあります。勿論それは嘘です。事実というのは歴史家が事実に語りかけた時にのみ語るもので、いかなる事実に、いかなる時いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家なのです。」
 具体例として、カエサルがルビコンという小さな川を渡ったのは、factという意味では確かに歴史的事実である。しかし歴史上も残すべき事実であるかどうかを決めたのは歴史家だ。歴史の大きな流れの中での位置付けを与えて、初めてその事実が歴史的事実になる。歴史というのはそういう観点で見なければならない。


ヴィーコ  

 ヴィーコ(Giovanni Battista Vico/1668-1744)は、デカルト(1596-1650)と最も対立したイタリアの哲学者、歴史家であり、ある意味で歴史学の祖である。死後ほとんど忘れられ、ミシュレーによってその著作「新科学の原理」を紹介され(1824年に20代のミシュレーによって仏訳される)、初めて世界的に有名になった。

 ヴィーコを紹介したミシュレー(仏)は、近代の歴史家として最も有名な人物の一人であるが、その著作「世界史入門」の中でも、「ヴィーコからアナールへ」という章がある。  アナール学派とは、現代歴史学の主要な一派で、資料に綿密にあたり、ある時代のある所を非常に詳しく書くのを特徴とする。例えば「娼婦の歴史」などといったものだ。  ミシュレーの著作「フランス革命史」(世界の名著シリーズ)は大変面白い。凄まじさがよく伝わってくる。ミシュレーによって歴史は初めて学問として成立した面がある。  そのミシュレーが、「私はヴィーコから生まれた」と言っている。それくらい決定的な影響力を持った。彼は次のようなことも述べている。「ヴィーコが勧めることを私は本能的に自分のうちに持っていた」「ヴィーコの色々な側面をものにすることで初めて自分が歴史家として成立した」。  19〜20世紀、ミシュレーの紹介後、ヴィーコは様々なところに影響を与えた。
 マルクス、デュルタイ、シュンペーターは「最高の思想家、社会科学の全ての領域で祖先である」「近代思想の最も偉大な勝利だ」と言った。
 ジェームズ・ジョイスにも大きく影響し、彼の著作のほとんどの部分にはヴィーコの影響が見られる。
 死後200年以上経ち、ヴィーコはますます影響力が大きくなっている。1968年には生誕300年を祝してヴィーコ研究国際会議が開催された。ヴィーコ研究学会もある。
 彼は非常に幅広い活躍をした人であるのは、上に挙げた人々の名前を見ても分かると思う。

 verum ipsum factum(真理は作ることにある)
 verum et factum convertum(真理と作ることは置き換えられる)
 この言葉には勿論様々な含みがある。だが以前の授業でも言ったように、彼がこの言葉で言おうとしたことの正に反対の状態が現代起きつつある。
 彼がこの言葉で言いたかったことはこうだ。
 この世界を認識するのは、神のみによってしかできない。なぜなら、この世界を作ったのは神様だから。作った人にしか真理は分からない。よって神様が認識するようなやり方でこの世界を認識することはできない。
 デカルトは、数学(ユークリッド幾何学)的モデルで近代科学を作り出した。数学でこの世界は認識できる、という思想が背景にある。彼の方法的懐疑「我思う、故に我在り」――全てを疑った末に、疑っている自分自身は疑えない、思う存在は疑えない、というものだ。けれども、実は何故自分は疑えないかというと、それをデカルトは神様原理(≠数学的証明)で説明しており、結局は神から離れられていない。

 デカルトのように、自分の頭の中ですべてを築いて、その上に世界の真理を数学的に示そうとする、この考え方自体がそもそも間違いなのである。
 一切は自分が作ったものしか分からない。作らないものは、神様が啓示として教えてくれる。
 神様が持ってるような全的な認識は神様しか持てない。そのごく一部を神の摂理として人間に啓示の形で与えてくれるのである。
 ヴィーコはここから、アンチデカルト方法論としてこう唱える。

 人間が作ったものに関しては人間は全て知る事ができる。人間の学問の探求は、人間が作ったものに向けるべきであり、神が作った自然的なものに向けるのは間違いだ。
 そしてその向かうべきものとして、社会、歴史、数学、工学(機械学)を挙げている。しかし現代では、遺伝子操作やDNAの人工合成などによって、本当に生命そのものを人間が本格的に作り出すことが可能なところにまできてる。今まで神様にしか知る事ができないと言われてきた生命の根源などの自然学にまで、人間は真理を知る事が可能な境界に来ているのである。これが現代という時代である。


学問を作る  

 学問は、どういう資料をもとに作るべきなのだろうか。ヴィーコは、歴史を語るにしても、神話・伝説の中の歴史的真実は資料として使えるとした。ここでもデカルトとヴィーコは対立している。デカルトの明証性の原理は絶対的な真理のみが信じられるとしているが、ヴィーコは蓋然性の中に真理を探し、学問の基礎は蓋然性だけで十分とした。今の人文科学の方法論も、蓋然性の度合で学問を作れるとしている点で、彼から発している部分も多い。もしデカルト的数学の世界を学問に求めたら、今の科学はほとんどが正しくないということになってしまう。自然科学の場合、全てを知ることは出来ないが、自分で作れるものは総て知ることが出来る。この考え方は実験科学を奨励するものである。

 そうは言っても、ヴィーコの考え方には相当インチキな部分もある。まず、蓋然性の評価というものは危険な領域である。蓋然性を認めすぎれば、『神々の指紋』も学問だということになってしまう。ヴィーコ自身、彼の著書の中で人類史の初めに世界大洪水を持ってきているし、“モーゼの十戒”や“プロメテウスが太陽から火をもらう”といった記述も年代入りで紹介されている。だが、彼だけが特別なわけではなく、この時代ある意味でそれは常識であった。旧約聖書は歴史書として読まれていたし、現に天地創造は何年前かということを計算した人は何人もいる。ヴィーコの記述は彼だけの責任ではなく、歴史がそういう流れとしてあったのだ。彼は「神話や伝説とは太古のギリシャ民族の正真正銘の歴史である」「世界創造以来の時の移り変わりを最も正しく伝えているのが聖書である」と述べている。神話や伝説をを取り入れた彼の歴史は、ジェームス・ジョイスなど様々な人に影響を与えた。とはいえ彼は無制限に神話を信じたわけではない。彼はホメロスの詩や文学なども分析し、資料に使っていた。

 様々なものを通して彼が結局言いたかったのは、歴史全てを通じて神の摂理があり、歴史を学べば学ぶほど神がこの世界を造ってきたということが分かるということだった。彼は、自分は一種の神学を述べているとした。

 しかしこの考え方は彼独自のものではない。歴史の中に神は自身を現しているという考え方は、西洋の歴史家にはよく見られるものである。現代で最も有名な歴史家の一人トインビーは、神を探し神を見出せと呼びかける神の証明によって歴史を書くことを自身の使命とした。欧米の人の間ではかなりポピュラーな考え方なのである。

 デカルトの cogito ergo sum の考えは、自分の頭の中にあることを真理だと確証することである。しかし、これは本当に正しいのだろうか。彼自身がどんなにそれを確証しても、膨大な人間の中で自分の頭の中が世界の絶対的真理であるということが他の人に受け入れられるのだろうか。自分自身の頭の中の観念にすべてを帰すのは根本的に間違いだとヴィーコは述べている。彼は、“共通感覚(伊:senso commone、仏:sens commun)”こそが大事だとした。sens communは普通“常識”と訳すが、それではやや外れる。“共通感覚”とは、人類が普遍的に持っているセンスのことで、デカルトのcogitoは彼の個人感覚に過ぎないということになる。  先ほども述べたが、細かい異論はあるにせよ蓋然性の上に基盤を置くのが人文科学である。デカルトが言うような数学的厳密性を持ったサイエンスは自然科学の中でも数学・物理学など一部しかない。サイエンスの分野が広がるほど蓋然性は増大する。最先端の分野では到底厳密性は得られず、アブダクションに頼ることになる。蓋然性の厳密な評価は難しいが、それを恐れていては新しい分野へは踏み込めないのだ。さらに、もともと厳密性の求められない分野のサイエンスもある。例えば複雑系の分野がそうだ。完全に数学的厳密性を求めるなら理想とした決定論的世界が出来るはずだが、例を挙げればカオスという考え方はある意味で決定論的だが結果は予想がつかない。デカルト的な厳密性を持った学問は出来る領域と出来ない領域があると分かってきたともいえる。この意味ではヴィーコの言っていることももっともだと言える。


「トピカ」  

 もう一つ彼が言ったのは、トピカの重視ということである。トピカはアリストテレスの時代など、昔の学問領域では非常に大切だった。トピカとは簡単に言えば弁証術のことで、議論をどう組み立てるかという学問である。ここで最重要とされたのがトポス(論点)の発見、ある問題についてここを調べればいいという論点の発見であった。ある意味では物の見方を知る学問であるともいえる。どういうことをしようとしたのかというと、まず知識の領域をカテゴリーにわけ、そこからまた議論で取り上げるときの次元・モードといったものを発見するのである。

 トピカは、知識人が持つべき一番基礎的なものとして考えられている。
 知的行為の相当部分は異なる意見を持った人どうしの議論に費やされる。トピカというのは、その議論をぶつけあうときに論点をどこに見つけてどう組み立てていくかという学問だ。フランスの高校であるリセでは、今でも授業の中に修辞学があるが、修辞学というのはほぼトピカと同じだ。つまりトピカはレトリックの学問だと思えばいい。
 デカルトの方は数学的な厳密性で議論を展開しようとするから、あることが数学的に証明できるかできないか、そこで勝負が決まってしまう。だからレトリックは必要ない。しかし、本当かどうかよく分からないプロバブルな世界で議論が展開するヴィーコの方ではレトリックの勝負になる。
 彼はこういうことを言っている。「真理は真理らしく見えなければならない」「真理は自らを真理として示さなければならない。真理は真理というだけで虚偽に勝つものではない」。つまりトピカという学問を用いて、レトリックの力で真理が真理であることを示すことが必要であると言っている。彼はまた「コイノス・トポス」、すなわち「トポスを知れ」と言う。トポスを知る、つまり論点がどこにあるかを見つけ、それを示して議論を勝たせる、そういうレトリック(トピカ)が学問では必要である。

「新しい学」の中の口絵  先ほどヴィーコの主著が「新しい学」であると言ったが、この本の口絵の写真がこれだ。左上に注目してほしい。三角形と目玉のようなものが描かれている。ヨーロッパではいろんな図像にシンボリックな意味が込められていて、どの図像がどういう意味をどうシンボライズしているのかを知ると知らないのとでは、絵画はもちろん、その他あらゆるものに見える部分と見えない部分とができてくる。これは三位一体、つまり神様のシンボルだ。三位一体の表現方法はいろいろあるがこれはその一つで、神様から真理の光が届いているのが見える。また本には、「こめかみに翼のはえた女性が天球儀の上に立っている。天球儀はつまり自然界を意味し女性はその名が示す如く形而上学である」と書いてある。しかし形而上学という女神が乗っている天球儀は、祭壇の端の方にずれて載っている。これの意味するところは、本には「天球儀、すなわち物質的自然世界はその一部分だけが祭壇によって支えられている。この理由は哲学者達がこれまでただ自然秩序を介してのみ神を瞑想してきたためにその一部分だけしか明らかにできなかったということである。つまり我々は神をこの一部分のみを介してあたかも自然を自由に絶対的に支配するが如くに考えていた。それは間違いであって、人間はもっと人間的な部分、つまり人間は社会的存在であるというこのもっとも特質的な人間本姓を介して、神を瞑想するということをしなければならない」と書かれている。つまり、人間的な道理というものをとらえることで、学問の領域を自然学から人間が関わる世界のいろいろな面、あらゆる領域まで拡げて追及しなければならない、ということを言っているのである。

文責:平尾 小径・田沼 隆志・鈴木 裕子・佐藤 智行

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