◎ 先週の復習:

 ヒトの脳というのは基本的に爬虫類脳、動物脳、それからヒト脳という単純構造になっていると言った。そして情動脳、R複合体があり、反射脳があって、この下には脊髄、そして脳幹だけの構造がある。部位としては、ここが大脳皮質でここが大脳基底核と言われている。
 この見方は非常に図式的な、概念的な考えで、実体はもっと複雑なものである。だから、脳について簡単に考える時には、こういう図式的に考えるのは正しいが、脳の構造が正にこのまま、この図式の通りになっていると考えたら、それは間違う。人間の知について考えていく際にも、人間の知性というものは大脳皮質がほとんどつかさどっているものかというと、実は色々な本能的な要素、特に脳幹など、前ほどの図式で言うと下のレベルにあるものが相当関与してくる。そして、全体として包接構造をなしている。人間を情的、知的に分析していくことを考えると、その部分自体が、包接構造をその基盤として持っていることが多い。また、人間の生理的な機能、例えば心臓の鼓動を例にとってみると(この前言ったように心臓の鼓動と呼吸と言うのは人間の肉体の構造の一番低いレベルにある。)心臓が、その鼓動のすべてを担っているのかと言うと、決してそうではない。君達ぐらいの年齢の人が、自分の好きな異性の相手を前にして心臓がドキドキすると言った時、心臓だけではなく大脳基底核や、大脳皮質も関与している。情動も情動脳だけに起因するかというと、全くそうではない。人間の生理的な機能のあらゆる面を見ても、「ここが直接担っていると言う部分」と「これが関与している部分」とが必ずある。
 こういうことは生理的な機能に限らず、専ら大脳皮質が担っていると思われている人間の知の部分についても言える。認識について考える時に、その基盤をなす身体性、生理性と言ったような、肉体的な認識の基盤抜きに、人間の認識というのは正しく理解できない。こういったものが、人間の知の構造にも非常に深く関っているということは、これまでにも述べてきたし、これからも何度か述べていくことになるだろう。
 以上のことを踏まえた上で今日の話に入る。

◎ 縄張り本能と行政改革:

 前回、人間というものを分析する時に、爬虫類の脳の持っている基本functionまで遡って考えていかないと十分にわからないことが多くあるという話をした。爬虫類の脳の持っているfunctionの中で、人間のレベルにまで非常に大きな関りを持っているものは多くあるが、まずナワバリ本能について。

 実は、我々の社会生活の至るところにこのナワバリ本能が大きな影を落していることが数多くある。そもそも人間の社会システムというのはナワバリ本能がある程度働いていないとうまく機能しない。これは、我々の社会が組織レベルで機能しているためである。組織というのは業務を分けて、それを分掌し合う組織体が必要で、どのセクションが何を担うかという、「ナワバリ」を決めることがまず必要になり、このナワバリを守り合わなければ組織は基本的にうまく機能しない。だから、ナワバリというものはある程度はどうしても必要なのであるが、しかし、その制約をあまりに強くすると、組織全体の最適なパフォーマンス、効果的な能力を引き出す上で、重大な障害となる。現在進行している行政改革はまさにそこが問題になっている。

 行政改革の基本は、予算と人と政策の3つの面において既存のナワバリを変更することだが、そのためにはまずそれを行なう組織が必要になる。この組織には政策機構についてしっかりとした理解を持った人が必要なので、結局役人中心の組織になる。具体的には各省庁から「精鋭」が送り込まれてくる。彼らは、自分達の母体の組織のナワバリを縮小することには物凄く抵抗する縄張り本能があるので、縮小どころか、自分の母体の組織のナワバリを拡大すべく、熾烈なナワバリ争いを行なうのである。
 そもそも、今の行政改革は社会全体の中での行政機構の持つfunctionをもっと縮めるべきだということが基本で、これに対しては行政機構全体のナワバリ本能としてそれを防ごうということになってくる。行政改革というと、行政内部だけではなく、外部からも様々な分野から人が来て関与するわけで、今の行革会議は、表面上はそういった外部の人達がやっているように見える。しかし、実質的にはその原案を作っているのは内部の事務局で、各省庁の送り込む「精鋭」達が自分達の母体の省庁のナワバリ争いを行なった上で提出されるのである。それで、一応は社会全体の中でどの程度のナワバリが適当なのかという方向で、外部員と内部員とがせめぎ合うわけだが、実際には外部員というのは週1回程度会議に出てくるだけで、行革会議の「たたき台」も内部事務局が提出するものなので、結局外部員は十分な役割を果たせない。更に内部での各省庁の縄張り争いは強力なので、大抵の場合は話が潰れる。だから、今回、もし実現できたとしたら、それは奇跡的なことなのである。

 歴史的にいうと、本当の行政改革というのはそう何度もなく、最近では1945年にあった。この時はそれ以前の日本の国家機構は表面上はつぶれたような格好になっているが、実質的には占領軍が日本の国家統治のために必要とする国家の機構というのは残された。この時にも、現在のように各省庁は、占領軍の言うことはすべて聞かなくてはならないという制約条件はあったものの、縄張り争いをやって、その中で戦後の日本の国家の行政機構における力関係が変わってきた。

 1945年以前まで日本の国家機構の中心であった軍部と内務省は、1945年には表面上は消えたわけだが、実質的にははそうではない。軍部はあの時点ではほとんどなくなったわけだが、内務省は、劇的な変更はあったものの、いわゆる「旧内務省グループ」として事実上は手つかずで残った。警察機構というのも1945年以前と以後では、随分と変化しているが、基本的には国家の管理組織の中核として非常に強力なものであることには変わりはない。だから、今の東大の法学部卒業者で、官僚希望者の相当部分が警察希望なわけである。

東大生というのは、割と目先を読むのがうまくて、東大生の上級公務員試験の上位合格者がどこへいくのかという流れを見ていると、今日の日本の国家機構の体制がどちらへ移動しているのかということが相当わかる。僕達の時代は大蔵省や通産省に行ったわけだがある時期から相当部分が警察と自治省にながれるようになった。警察機構というものは明治維新、あるいはそれ以前からも国家組織の中核にあり、それが行政機構全体の中心にあるかどうかというのは、その時の国家の機構によって随分違うが、今はこれが行政機構のかなり中心部にある。

 1945年以前の旧明治憲法時代以前の体制に、いろいろな意味で戻ってきたというのが、60年代後半から70年代、全共闘以後の社会変化のうち、行政機構、国家の統治機構側の変化で最大のものである。

 現在は、一応、日本の国家は中央政府があって、地方政府は独自に、自治的に治めているということになっているが、財政面では補助金というスタイルで、中央からのヒモつきなわけだし、結局、ポリシーも、人も(人は特に旧内務省から)中央から降りてくる。従って、実質的には、日本の国家体制は、旧内務省官僚的な連中が中心になって出来ている。中央政府の中では、多くの省庁の中で、圧倒的に旧内務省グループが強くて、その中でも何といっても強いのは警察官僚というのがかなり前から定着している。

閣議が実際に何をやっているのかというと、ただ押しかけてくる膨大な書類のサイン会をやっているだけだということは、以前から言われている。法律上は閣議というのは各大臣が出てきて、国の最高決定を行う場になってはいるが、そこに提出される案件というのは、各省庁の間の縄張りで決まっていて、そのすべてを担当大臣が担っている。だから、閣議には、総理大臣が各省庁に直接命令を下して何かをやっていくと言うような、top-down式の構造はない。

 今の行政改革の一つの問題点は、これまでの、担当大臣にあまりにも権限が与えられていた状態から、いざという場合には、担当大臣の権限を総理大臣が吸い上げて、総理大臣が直接命令を下せるようにする、非常時立法云々みたいなことが行革の一つの柱になっている。これは、何も非常時だけを問題にしているのではなく、日本と言う国の機構の根本を変えようとしていることなのである。よく使われる表現で言うと、「大統領的な首相」にしようとしているのだ。

 これまでの話と、あと、議会や政党が絡んだりして、政治の相当部分が縄張り争いで日常が費される。何も政治に限ったことではなく、会社のような経済組織、また大学や研究組織でも、「男の世界」の相当部分はこう言った縄張り争いに、いい意味でも悪い意味でも相当エネルギーを費やさなければならないという状況に必ず追い込まれる。だから、君達もいずれ、「なるほど、爬虫類の脳はこれほどまでに我々の行動を支配しているのか」ということを、実感することになるだろう。

文責:鳥居宏在
◎ 記憶の仕組み:

 脳の記憶内容は、生得的なものとインプリンティング(埋め込み、刷り込み)によるもの、そして生後の学習によるものから成っている。遺伝子には生得的な記憶とインプリンティング行動の仕組みそのものが含まれていて、学習もインプリンティングの緩い形として位置付けることができる。そういった意味で、人間の行動は記憶に支配されているといえる。
 人間のみならず、おそらく全ての生物の生存は丸暗記によって支えられている。例えば、人がある場所に来た時、そこが以前一度来たことがあるだけの場所でも、過去を想起して「この場所には来たことがある。」と記憶を甦らせることができるだろう。また、その場所にある変化が起こっていたなら、すぐそのことに気が付くだろう。このことは、記憶が抽象的な概念としてでなく、具体的な画像として保たれていることを示している。イメージと現状との相違が具体的に想起できるのもそのためである。

 では、そのような記憶するための仕組みはどのようになっているのだろうか。
 コンピューターでは、イメージの記憶は画像圧縮、符合化を経て行なわれる。これは言ってみれば情報の一部を「壊す」ことであるが、それによって生じた微小な誤差は、イメージを再び取り出して見る側にはほとんど分からない。人間の場合、記憶の仕組みは動物実験により得られた結果を基に研究されている。しかし、これには技術的な問題の他にも、「ある行動を覚えさせ、ある条件で引き出す」という実験の性質上、得られた結果の解釈の多義性という問題もあり、決定的なものとはなっていない。
 現在の科学では、脳内での情報操作については分からない点が多く、特に記憶については、ほとんど何も分かっていない。このため断片的な理論はあっても、原理的な理論はまだ存在していない。例えば、人間が理性、知性により哲学的問題を扱う際、必ずといってもいい程「内省」が行なわれ、何らかの思考や行動が導かれる。。しかし、この時に起こる膨大な記憶の整理や統合の仕組みを説明することは、全くできていないのである。

 近頃、IBMのスーパーコンピューター「ディープ・ブルー」と、チェスの世界チャンピオンであるカスパロフ氏との対決が話題になった。この「ディープ・ブルー」には過去百年間の名勝負の棋譜が記憶されていて、その全てが分析済になっている。そしてある局面に遭遇すると、それらの膨大なメモリーの中からとても良く似た局面を探し出し、今後の展開を計算し、最良の手を選択するのである。チェスには、理論的には10の120乗の手筋が可能であり、記憶容量はまだ遠く及ばないものの、「ディープ・ブルー」はカスパロフ氏に2勝1敗3引き分けで勝利した。ちなみに、将棋では10の200乗通り、囲碁では10の300乗通りの手筋が可能であると言われるが、これらの世界では、人間と互格に渡り合えるコンピューターはまだ登場していない。
 こうしたコンピューターの研究により明らかになったのは、人間の脳がいかに優れているか、そして、いかに複雑なものかということである。研究者にとって、あるいは他の全ての人にとっても、記憶の問題は最大の壁であり、今のところ手がかりは全くない。
 このような状況の中で、記憶の仕組みとしてニューラルネットワークというものが考えられている。ニューラルネットワークでは、可塑性をもった幾つかのニューロンからなるサーキット(回路)があり、それが一つの記憶に対応している。情報刺激がネットワーク内を走り続けるとシナプスの結合に変化が起こり、やがて固定される。これが情報の定着であり、記憶である。しかしこの考え方では、いくら脳にたくさんの脳細胞が存在しているとはいえ、人間の膨大な記憶の処理という点で量的説明が不可能である。バイト数でいえば、テラバイトを何倍しても記憶の全てを扱うことはできないのである。
 電子回路では、チップ内を電子が走ると、外部情報はブール代数によりアナログからデジタルに変換、つまり数値化され、記憶される。脳内でも情報を担うエレメント回路内を走るとされているが、その実体については全く分かっていない。ちなみに脳内を走るパルスは、これとは無関係といわれている。
 また記憶の仕組みに関しては、別の角度からのアプローチも行なわれている。記憶に残ったという場合、脳内には何らかの記憶痕跡が存在するはずである。記憶の刻印・保存・想起の過程で、それぞれどのようなシステムがあり、どのような物質変化・物質作用が起こっているのかを調べることにより、記憶の全体像をつかめるのではないか。そういった研究が、今まさにリアルタイムで行なわれているのである。

文責:丸山真一郎
◎ これまでの脳研究の方法:

 これまでの脳研究のやり方は、サルの頭に電極を刺して、一つ一つの神経細胞の活動をパルスの変化として計測するというものであった。たしかにこの方法によって、多くのことがわかったのだが、この方法では全体的な情報は得られず、バラバラの局所的な情報しか得られない。また、ある一つの行動について調べるとき、その行動は局所的に一箇所だけで担われていることはむしろ少なく、いくつかの部分が合わさった連合野や、さらにはその連合野が集まったスーパー連合野によって担われていることが多いのだが、この方法では脳の働きを全体的に、同時間的に捉えることはできない。
 また、この実験では、ガラスの細い空洞の管を通して、金属の針を直接サルの脳味噌に刺して行ない、実験終了後は、針だけ抜いてそこに染色料をいれ、解剖して脳のスライスを作って、脳にどのような変化が生じているか調べる。これに対して、動物愛護団体などからの批判が多く、この研究者たちはおおっぴらには実験のことを話せないという。

◎ これからの脳研究の方法:

1.PET(陽電子放射断層撮影装置)
2.MRI(核磁気共鳴断層装置)
3.両者の欠点

 いままでの脳研究の方法では、脳を全体的に捉えることができなかったが、これから説明するPETやMRIを使うことによってそれが可能となった。全体的に捉えることで、思いもよらぬ発見があったりする。

PET(陽電子放射断層撮影装置)

 PETは、X線CT(いわゆるレントゲン)と似ている。ただ、X線CTでは脳の形がわかるのに対して、PETでは、脳内の代謝や、血流などの、さまざまな物質の動きをつかまえて画像化することができる。それによって脳活動のケミカルな側面を捉えることができるのである。
 どうやってそんなことが可能になるのか。PETの基本原理は、測定したい化学物質に放射能の標識をつけて脳内に送り込み、その放射能を頭蓋の外から検出して、その位置情報をコンピューターで解析して画像化するということである。
 例えば、脳内の血流を調べたいときには、放射性の水を作っておいて、それを血液に入れて測定すればよい。放射性のアミノ酸を使えば、アミノ酸の代謝がわかるし、放射性の糖(グルコース)を使えば、糖代謝がわかる。

MRI(核磁気共鳴断層装置)

 もう一つの脳の画像診断装置として、MRIというものがある。この装置の利点は、解像度がものすごく高いこと。どんな角度からの断面でも撮影できること。CTやPETだと放射線被曝の問題があるが、MRIにはない。CTは骨に邪魔されるが、MRIは邪魔されない(X線は骨に吸収されるが、磁力線はすり抜けてしまう)。CTは軟部組織が一様に撮像されてしまうが、MRIだと、組織の微妙なちがいがコントラストのちがいで表現される。というようにたくさんある。つまりMRIがなによりも得意とするのは、解剖学的な形態に関する情報なのである。
 さて、このMRIであるがその原理は大変難しい、ここでは簡単に説明しておく。MRIの基本的原理は、「核磁気共鳴」という現象だ。正の電荷を持つ原子核は、自動運動(スピン)をしている。それによって原子核は小さな棒磁石のように振舞う。これを強い磁場のなかに入れてやると、ちょうどコマの首振り運動のような回転運動を始める。その回転数(周波数=強い磁場の大きさと原子核の種類で決まってくる)と同じ周波数の高周波(ラジオ波)をかけてやると、回転している原子核はそのエネルギーを吸収して励起状態になる。これが核磁気共鳴現象である。次に、その高周波をストップすると、今度は吸収していたエネルギーをラジオ波として吐き出しながら、原子核は励起状態から定常状態に戻る。この吐き出されたラジオ波をキャッチすることで、原子核の状態を知るのである。
 最近では、以前までは苦手としていたような、脳の機能的研究にも使えるようになってきた。脳機能を画像化する技術であり、ファンクショナル(機能)MRIと呼ばれている。

両者の欠点

 このように、これからの脳研究には欠かせないPETとMRIであるが、欠点はある。まず、ふたつとも値段が高いということ。あとは、大きいということ。
 そのため、これらの機械を脳研究目的だけに使える場合は少なく、多くは医療目的のものとの併用となっている。

文責:原野一政
◎ 筋肉について:

 人間の肉体の相当部分を骨と筋肉がしめており、運動は筋肉がほとんどを担っている。筋肉がなぜ動くのかというメカニズムはいまだによくわかっていない。一時筋肉はこう動くのだという理論があり、解決済みだとおもわれていたが、根本的に間違っていたことが分かり本当のことは分かっていない。

(a)筋肉の繊維一本一本のなかに原繊維というものがあって、櫛状のなかにさらに細かい櫛状のものがあって、滑べり合う。

そのこと自体は正しいが、どういう時に滑べりが起こりなぜ起こるかということが間違っていた。筋肉は細かい単位構造からできていて、(a)のメカニズムが、何十兆と人間の体のなかにある。ロボットのアクチュエータのようであり、人間が滑らかに動けるのはこのためである。筋肉のメカニズムを調べるため、タンパク質の構造が調べられている。近い未来、分子生物学におけるワトソン、クリックの二重らせんの発見に匹敵するような大発見がこの分野で有るのではないかと言われている。脳の基礎的メカニズムは今までニューラルネットと関連づけて考えられていたが、タンパク質の方からわかってくるのではないだろうか。タンパク質が情報の担い手なら、記憶の不思議も理解できるのではないだろうか。

◎ ATPについて:

 ATPは、エネルギーの缶詰といわれ、人間はATPの変化の中でエネルギー放出をつかって活動する。生物は食べ物を得てATPを作り生きている。

(b)あるエネルギーを受けとっていろんな臓器が活動する。ATPとその結果起こる活動は一対一対応である

と、今までは信じられていた。ところが、タンパク質1分子ずつばらしてATPを与え、動きを測定していった結果、一対一対応でなく、小出しに使い小出しに出すことが分かった。これは精密に実験され、分子レベルの活動がpN(ピコニュートン)レベルの測定が行なわれた。

◎ タンパク質について:

 人は非常に複雑なケミカルマシーンであり、その中心の役割をはたすのがタンパク質である。タンパク質が、機能を果たすには形態情報が大事である。免疫などいろいろなメカニズムの相当部分がケミカルマシーンを働かせるタンパク質の鍵と鍵穴的な対応に関係している。(b)の一対一対応は、体内のケミカルなタンパク質の過程の中で疑われていなかった。このなぞがとけないとケミカルマシーンについて分からない。ここが分かれば脳の記憶の話が分かるのではないか。今の研究はケミカルな研究をいろんな形で拾うことである。

◎ 情報について:

 情報とみんないうけれど情報とは何か?情報を担うキャリアと情報の関係はどうなっているのか。キャリアはどうやって情報を担うのか?これはまだ分かっていない。これは現在進行中の話であり後でまた触れることになるだろう。

文責:吹譯靖子