発達初期における細胞への影響 -

 脳の発達に関して、猫を用いた実験を紹介しよう。まず子猫の首にひさしをつけ、前方しか見えない状態にする。その上で、その猫を垂直方向の線の多く描かれた箱の中で飼育する。するとこの猫は、縦の線ばかりを見て育つことになる。一定期間このような箱の中で飼育した後、さまざまな傾きの線を見せて、その際に脳の視覚野にある「特徴抽出細胞」と呼ばれる細胞がどのようのに反応するかを電極を通して調べてみる。すると、実験に用いられた猫は、正常な猫に比べて、横方向の線に対する反応が弱くなっていることが分かった。水平な線へ反応する細胞が減ってしまったのである。
 このように、遺伝的には健全な細胞であっても、発達初期における入力にばらつきがあると、バランスが崩れ、その働きが歪んでしまうのである。猫を使った同様の実験を、もう一つ紹介しよう。

 猫の視細胞の大部分は、両目からの信号に反応するが、一部は片目からの信号にしか反応しない。この性質を利用する。先の実験と同じように、発達初期にある子猫を用いる。この猫の片目に関して、上下のまぶたを縫い合わせる処置を施す。これによりこの猫は、縫われていない方の目からの信号しか受けなくなる。一定期間その状態のまま育てた後に、縫合を解いて、両目が見える状態に戻してやる。そして先の実験と同様に、視覚野の脳細胞の反応を見るのである。すると、縫わなかった目のみからの反応に対しては、正常に反応したのに対して、縫った方の目のみからの反応や、両目からの反応に対しては、全く反応しないようになってしまった。
 この実験において、縫合を解いた後に視覚が正常に戻るかどうかを調べてみると、実験の時期によって、治る場合と治らない場合があることが分かった。生後2-17週の段階で片目を縫われた猫について、上述のような影響が見られ、特に、生後5週間においてこの実験をされた猫では、正常に戻ったものがいなかった。生後5週間というピークを外れると、正常に戻る個体が現れ、ピークから離れるほどその割合が上昇する。このように、偏った外界からの情報ばかりをインプットされることによって、一生残るような影響を細胞が受けうる時期を、「感受性期」と呼ぶ。
 ハイイロガンに見られる、「刷り込み」の現象に関しては、影響を受ける期間が更に限られている。このような期間は特に「臨界期」と呼ばれる。生まれて初めて見るものを親と思い込むこの現象は、急速な成長期における影響が極めて強く残るために起こる。ローレンツという学者が綿密な研究をしたことで知られるが、ここでの「動くもの」は何でもよく、ローレンツ自身、アヒル、更には生物でない箱に対しても、親として認識するという例が報告されている。

 人間に関しても同様な感受性期が存在する。例えば言語に関しては、 2,3 歳の頃がこれにあたる。英語の "l" と "r" の区別などは、日本人には難しいとされているが、 2,3 歳までに英語に親しんでいれば、スムーズに習得することができる。もちろんこの時期を過ぎた後でも、努力すれば区別できるようになるが、 2,3 歳の頃のように特別に努力しなくてもできるようになるわけではない。また、知的欲求に関しては大学 1,2 年といった時期がこれにあたる。この間に偏った影響を受けることがあると、例えばオウムに入信するといった結果につながるわけである。

病態失認 -

 オウムに入信した若者は、自分たちではそれが異常であることには気づかない。それは、自分たちこそが正しい、という判断基準がしみついてしまっているからである。痴呆症患者が、自らの症状に気づかないのも同様である。このように、自分の病状に関する認識、すなわち病識がない状態を、「病態失認」という。
 再び目の例をとって考えてみる。視覚に異常があるという時、次の二つの場合が考えられる。一つは、目そのものに異常がある場合である。この場合は、その人は自らの症状に気づくことができる。しかしもう一つの、信号の伝達経路やそれを受けとる脳の皮質に異常がある場合では、すぐにはそのことに気づかず、そのまま気づかないままでいることも多い。特に脳内の異常の場合、神経が存在しないため、脳内出血等が起こっていても、気づきにくい。「同名半盲」という病気がある。もともと脳は、両方の目から伝わった画像を合成して外界の映像を認識しているが、何らかの理由で、片方の目からの信号が脳まで伝わらなくなるというものである。目そのものに異常がないため、すぐには異常に気づかない。しかし、例えば何故か椅子に足をぶつけるようになるなど、間接的に症状に気づく場合はある。患者に対してアンケートをとったところ、椅子にぶつかることが多くなった、といった「結果」を認める患者は多い、しかし、その原因が情報伝達の過程にある、ということにまで踏み込んで認識している患者は少ない、ということが分かった。そして「結果」にも気づいていない患者は、自分に異常があることを「頑固」に否定し、以前通りに行動しようとし、また何か異常があったとしてもその原因は他のものだと考える傾向が強い。そして入院が必要な場合も、「なぜ入院しなければいけないのか」との疑問を抱き続けることになる。

 家畜の脳は、野生の場合に比べて萎縮している。フナとキンギョを比べた場合も、やはりキンギョの脳の方が小さくなっている。これは、野生の動物はみな自分でエサを獲らなければならないのに対し、飼育されている動物には、その必要がないためである。飼われている動物には、「ハングリー精神がないから」と言うこともできる。同様のことがヒトに関しても起こっている。大部分の人間が、突然野生に戻らされたら生きていけないだろうと言われている。原始的能力が失われ、脳が退化しているからである。
 生物はみな、たどってきた進化の過程を繰り返しながら、成体へと成長していく。これを「系統発生」という。人間の場合、全ての機能ができあがり、安定化するのは、40歳から60歳の間と言われている。20歳までに骨格や各種回路網はできあがるが、その brush-up まで終わるのは、40歳になる頃なのだという。この意味では、孔子の、「四十にして惑わず」との言葉は正しい、と言うことができる。そして、知的インプットに関しては、今の大学生という年代からは、自分で管理して行なっていくものである。今までなら、学校がきちんと教えてくれなかった、というような言い訳が許されるが、これからはそのようにはいかない。自分で責任を持っていかなくてはならない。

文責:笹子敬洋

生体機能の一分子イメージング(筋肉の動き) -

 人間を含め動物の特徴は「動く」ことである。動くもとである筋肉は筋繊維でできていて、さらに細かく見ると筋原繊維でできている。筋原繊維はサルコメア構造といわれる構造になっていて、サルコメア構造がモーターになって人体を動かしている。サルコメア構造はアクチンとミオシンというふたつの蛋白質が滑べりあっている構造であるが、どのように滑べりあっているのかというのは謎であった。それにたいしてイギリスのハクスレーの「首振り説」というのがあって30年来正しいとされてきた。

首振り説 -
ミオシンにぶら下がっているATPがADPに変化するさいに、ADPがミオシンにぶら下がっている角度が変化することによって、ATP1個につき1ナノメーター滑べる。
ATP;アデノシン3リン酸、エネルギー通貨とよばれる。
ADP;アデノシン2リン酸
ATPがADPにI変化する時に多量のエネルギーを放出する。ATPとADPは全ての生物に共通のものである。
 しかし大阪大学の柳田教授は、ある状態からある状態にものが変化するときに動作段階がくっきり分けられるのはおかしい、と疑った。そこで首振り説を検証しようとした。その際に、生物学での従来の方法−−ある集団を観察して集団の動き方から単位量を推定する方法−−ではあいまいな測定しかでないので蛋白質一分子そのものをばらして観察しようとした,それがつまり生体機能の一分子イメージングである。しかし一分子ずつを観察して一分子あたりの動きをデータ化することは不可能だとおもわれていた。なぜなら蛋白質を観察するには生きたまま観察する必要があるが電子顕微鏡では生きたまま観察できず、光学顕微鏡では蛋白質を一分子ずつ見ることはできないからである。

文責:吉田弘毅
生理学の現在 -

 ばい菌の一種に尻尾を回して泳ぐものがいる。その尻尾の根元を電子顕微鏡で観察すると、その仕組みがモーターにそっくりであることがわかった。そこでは陽子のやりとりが行なわれていることもわかった。結局生理学である仕組みについて説明をどんどんつきつめていったとき、どこまでいくと最終的な結論になるかというと、それは原子のやりとり、陽子のやりとりというレベルで説明できるようになったときである。そして現在人間はやっと最終段階にたどり着きつつある。実際、分子レベルの観察ができるようになったということは、人間が本来持っていた視覚能力を越えて視野が広がったことに他ならない。あるいは、タンパク質に働く力の大きさを測定できるようになったということは、人間が2兆分の1グラム重のレベルの力をコントロールさせることができるようになったということである。人間は現在高度な技術によって、信じられないような能力に達しつつあるのである。

文責:吹譯靖子