宇宙から飛来する雪玉

 主要な新聞のほとんどに掲載されたので読んだ人もいると思うが、宇宙から雪玉が降って来て、地球に大量の水を供給しているという話がある。にわかには信じ難い話だろう。毎日新聞でも非常にうさんくさい話という論調で紹介されている。怪しげな学者が一発当てるために提唱したがごとき扱いだが、実はそうではない。
 この説を提唱した学者ルイス=フランクは非常に輝かしい経歴を誇る優秀な学者で、11年前もこの説を提唱している。11年前も現在も、宇宙から衛星に撮影された写真をデータとしている。測定機器の精度が格段に上がった為、11年前はデータ不足とされたこの説も、欧米ではかなりの説得力を持つ世紀の大発見として扱われている。ヘラルド=トリビューン紙でも一面を飾っており、日本の新聞の扱いがいかにピント外れのものであるかがうかがえる。この発見が事実だとするとそのインパクトは大変大きく、人類、地球の歴史が従来考えられていたものと全く異なるものであったということになるかもしれない。
 そもそもこの雪玉は何かというと、基本的には水でできた小さな彗星であり、重さは2t〜4tで、大きさは小さな家一軒分ぐらいである。一分間に約20個飛来する、つまり3秒に1個で、年間約1000万個地球に飛んできている。一年間に1000万個で1個が2〜4tなのでその量は20〜40億t/年ということになり、地球の表面をそれだけの水がおおうとなると、その深さは1/10000インチ(1インチ=2.5cm)である。少ないように感じるが1万年だと2.5cm、100万年だと2.5m、45億年だと地球の水の量に近い数字になる。これほどの量の水が−−一部は宇宙に拡散してはいるだろうが−−地球に飛来したとなると、地球の水のできかたに関する一般論も怪しいものになってくる。

(毎日新聞6月*日朝刊より抜粋)
地球に飛び込む雪玉確認
米の博士『水は宇宙から』裏付け?(ニューヨーク28日河野俊史)

 地球の水と生命は宇宙から飛び込んできた「小彗星状の雪玉」がもたらした。米メリーランド州ボルティモアで開かれた米国地球物理学連合の総会で、アイオワ大学のルイ・フランク博士がこんな研究結果を発表、話題を呼んでいる。
 この発見は地上約48000キロの軌道上にある米航空宇宙局(NASA)の局地観測衛星「ポーラー」の観測に基いている。同博士によると、地上9600キロから24000キロの地点で地球の大気に向かって突入する物体が確認され、分析の結果、水が含まれていることがわかったという。同博士は「宇宙から時速32000キロ以上で飛び込んできた20トンから40トンの氷塊」と推定、これが大気の上層部で蒸発し、地球の水のサイクルに加わっていると結論付けた。
 この物体は直径12メートルほどの小さな彗星状だが、金属質の核がなく、同博士は「宇宙のスノーボール(雪玉)」と名付けた。1日に何千もの「雪玉」が地球に突入しつずけているという。
 同博士によると、この物体がもたらす水の量は1万から2万年で全地球を約2.5センチの厚さで覆う分量に相当し、40億年間で地球の海を形成できるという。さらに、物体には有機物が含まれ、海とともに生命の起源になった可能性があるとしている。

渡辺潤一・国立天文台助手の話

 11年前にこの説が発表された時から議論が続き、「雪玉」を探そうという試みもあったが見つからなかった。当時は一日に1、2個という内容だったが、今回は1日数千個という多さで、どこから供給されて飛来するのかもわからない。数千個もあればスペースシャとるから確認できたはずだ。今回の発表は決定的な証拠とは言えず、複数の証拠が出てこなければ多くの人を納得させられないだろう。

文責:本田健司
ルイス=フランク

 ルイス=フランクは、ヴァン=アレンの助手を学部学生時代からやっており、後に研究員になった人で、アポロ計画の頃の、月面観測にもっとも深く関わり、また、プラズマ現象やオーロラ、宇宙探査衛星ガリレオなど42個ものプロジェクトに参加している人である。

 衛星が地球大気の遠紫外線の可視光を観測したデータを見ていたところ、あるスポットを見つけた。遠紫外線の画像データであることから、当初はノイズの一種だろうと思われていた。カメラにも電送系にも問題が多く、ハードの面で問題があるのだと思われていたのである。
 しかし、電送系でノイズが出ることは確かだが、それは200イメージに1つの割合なのに、この場合その1000倍もあり、しかもどんなに補正を施してもスポットが消えないのである。つまりノイズではなかったのである。また、ノイズ以外の、例えば宇宙ゴミ等であるという可能性も否定された。
 では、そのスポットの正体は何だったのだろうか?それは水が頻繁に飛び込んできているのであった。スキャンの範囲を狭めてさらに観測すると、水が600マイルから10000マイルの間で水蒸気になるときに遠紫外線を吸収しているためにスポット状になっているのがわかった。彼は、当初それを信じることができなかったが、そうとしか思えなかった。
 ルイスは、このことを発表しようとしたが、周囲の仲間たちはそれを止めようとした。なぜなら、それが本当ならば、「書庫のなかの物理学の論文の大半は焼き捨てられなければならない」ほどの革命的なことであり、誰も信じないからである。そして、またそんなものを発表すれば、彼の権威がきずついてしまうからである。しかし彼は、反対を押しきり、微小水星としか考えられないとして論文を書いていった。それは、当初は誰にも信じられなかったが、何度も発表されて、11年後に、可視光で撮影されたものにより、正しいことが証明された。(この感動的な発表までの過程は、インターネットのページにのっている。)
 もし、科学の領域で、新しい領域を引きだそうとすれば、必ず叩かれてしまう。しかし、科学の本質を無視するわけにはいかないのだから、そういうものをわざわざ潰してしまうことはない。コぺルニクスから、アインシュタインまで、あらゆる科学者は、REVOLUTIONALな心を持ってのぞんでいたのであり、事実を隠しておくことはできないのだ。

文責:田村英康
氷系物質

 星の生涯は、星間分子雲から進化して恒星となりやがて超新星爆発を起こし再び星間分子雲になるという一大サイクルを繰り返している。太陽系も星間分子雲のなかから生まれ中心に太陽が存在している。宇宙にはヘリウムや水素が非常に多いのだが、星間分子雲中にはそれらだけに限らず、岩石や氷などあらゆる物質が入っているため、分子雲の回転板はその軽重によって分離し惑星へと発展していくのである。木星型惑星は主にガスで出来ているので、太陽系の外側に位置し、地球型の惑星は内側に存在する。氷主体の小惑星は太陽系の外側に行き、オールトの雲を形成する。

 この氷の小惑星の他にも、宇宙塵というミクロサイズの微粒子、具体的には0.1ミクロンほどのものが宇宙には大量にあり、地球にも多く来ている。地球に大気圏外からくるものといえば、隕石があげられるが、この宇宙塵は全地域に一日あたり合計約10tも降り注いでいる。つまり、宇宙空間とは何もないところではなく、ミクロン以下の物質が非常に多く飛来しているのだ。

 これを示す例として以前アメリカが行った実験がある。どれほど多くの物質が飛んでいるか調べるために、宇宙空間に小さい板を6年放置したのである。するとこの板には何万個もの穴が空いていた。これらは全てミクロン単位の物質によって開けられたものである。宇宙空間ではこれらはものすごいスピードで運動しており大変危険なのだ。

 この隕石や宇宙塵などの宇宙起源の岩石系カテゴリーに属するものと同様に氷系の物質も実は大量に存在している。そして、その中で大きくたまたま地球周辺にやってくるものが彗星として進んで観測されているだけなのである。また氷は地球に飛来しても途中大気圏に突入するときに融けてしまい、地上にはなんら痕跡をとどめないので誰も考慮しないのだ。この氷の存在を考えると、今まで原因不明でいなくなった人工衛星は、これが原因だったのかもしれない。

 このように写真で氷の存在がはっきりと分かるということは地上からでも見える可能性がある。(写真がこれ以前に取り込んであることを希望します)現に、望遠鏡で大気圏に入り、水蒸気となる直前を観察した人の報告もあるのである。フランク博士のページにはQ&Aのコーナーがあり、次のような質疑応答がのせてある。「Q:地球に落ちてくる氷は肉眼でも見えるのですか?」「A:見ることは可能です。」また、氷の塊を意図的に見ようとして観測したのではなく、たまたま見たという報告もある。天体観測というものは、訳が分からないものを見たという話が多いのであるが、その中のあるカテゴリーにあるものは氷の塊が飛んできたものであるということで説明できるものも多いだろう。

 前述の新聞でコメントを求められた国立天文台の助手は「そんなに飛来してくる氷塊が多いのであればスペースシャトルから見つかる筈だ。」と言っているが、シャトルが飛んでいる高度はだいたい400km位であるのに対して氷塊が消えるのは1000km程度のところなので見える筈はないのである。そもそも彗星とは何かという問題は昔からの疑問であった。それでハレー彗星が来たときには、ハレー彗星になるべく近付いて観測するように観測衛星を飛ばしたこともあったのである。

 現在分かったように、オールトの雲を構成する宇宙起源の氷の塊が地球にやってきているとなると、これを入手することによって太陽系が出来たばかりの頃の情報を手に入ることが期待できる。氷の入手は近いうちに実現されるであろう。そしてここで得られる物質は太陽系の歴史を考えるうえで大変役立ち、そこから得られる知識は大きい。以前、ハレー彗星が来たときどういう物質が核に含まれているかを物理化学的に分析したことがあったが、その中に含まれるものは有機物のみ集めたものでも極めて多くの成分があり、中にはDNAのパーツも存在したということである。このことから分かるように星間分子雲の中には有機物がたくさん存在しているのである。

 宇宙天文学の分野では電波望遠鏡で宇宙から来る電波を観測して物質の特定をやっている。これは、分子はその分子特有のスペクトルを出すという性質を利用しているのである。この方法で物質を特定していると周波数は分かるものの、どんな物質から来ているのか分からないということがしばしばある。実は理科年表によると、何から来ているのか分かっている電波に対して、何から来ているのか分からない電波のほうが、数は圧倒的に多い。これらは、無機物なのか有機物なのかすらも分からない。

 これらの事実によって、宇宙のコンセプトというものは、空間的、時間的にも変わりつつある。地球に注がれた水の大部分が宇宙起源かもしれないということは、生命の存在についての考え方にも基本的に関わってくる。なぜなら、地球のもっとも大きな特徴である水の存在とは、全ての生物にとって存在のための最大条件であるからである。

 地球の誕生は、今から約46億6千万年前と言われているが。生物が誕生してほとんど全ての時代は先カンブリア紀である。この頃は、原始的な生物のみしかおらず、それもほとんどが単細胞のものであった。爬虫類や哺乳類が現れたのは、ほんの3億年ほど前である。生物進化はほとんどが水中でおこったわけなのだが、地球の形成時期に比べて、最初の生命誕生があまりにも早すぎるということは、かねてからの疑問であった。

 これまでの生命誕生のプロセスは、かいつまんで話すと、以下のようになる。まず、原始地球は全体がマグマオーシャンであった、そしてそこに岩石から生じて水蒸気として存在していた水が飽状態に達し、やがて地表に大規模な雨をもたらす。こうやって出来た海には、岩石中の数々の無機物が溶け込んでいる。この無機物がやがて何らかの過程を経て有機物を形成し、そこから細胞が生じるのである。

 しかし、太古の昔から氷という形をとって宇宙から注がれた有機物を含む水によって海が作られたとすると、生命誕生がこのようにすぐになされたのも理解できるのである。DNAのパーツを形作るものですら、星間分子雲には存在するということは多くの人の地球に対する認識を変えてしまうかもしれない。すなわち、現在大半の人の、地球を宇宙の特異点とみなし、地球は特別だという考えが変わるかもしれないのである。水は人の約60%を占め、細胞の内部はほとんど水であり細胞の外壁もほとんどが水であるように水は生命において重要な役割を演じ、水による栄養物の運搬作用なしには生命は生きることが出来ないのである。

文責:菅 哲朗
酸素と炭素の大循環

 全地球システムは大循環によって保たれているが、その大循環はガス循環と水循環によって成り立っている。そしてガス循環のほとんどは水蒸気によって行なわれている。水とは地球や生命の存在に不可欠なものである。しかし、その相当部分が宇宙から供給されている。
 20世紀のシベリアで起きたツングース大爆発は、結局なんだったのかはわからない。UFO研究家はUFOが来たに違いないと言っているが、実際に宇宙起源の物質はない。これは彗星が落っこちてくる時に起こった何らかの爆発現象である、と今は考えられている。

広い視野

 松井孝典がオールトの雲の想像図を書いているが、とてもそういう状態ではないと思われる。オールトの雲には彗星の種といったようなものが数兆ほどある、と言っているが、もっとはるかにスパースなはずだ。
 もう一つここでお話しておきたいことは、このような宇宙のことがわかってきたのは本当に最近のことである、ということだ。最近というのは、アポロ11号が打ち上げられて宇宙時代の幕が開けてからを指す。私はアポロ11号の前と後を経験しているが、それ以前の人間の宇宙に対する知識は非常に乏しいものだった。例えば、月の表面がどうなっているか、ということに全く想像がつかなかった。月に宇宙船を飛ばして着陸することになった時、一部の学者は大反対した。月の表面はものすごく軟らかい砂でできていて、重力が地球の6分の1であるから、ロケットが砂にめりこんで二度と出て来られなくなる、と考えていたからだ。アポロ以前は本当にわかっていなかったのだ。また、月にはクレーターというものがあり、今は隕石の衝突によってできたとされているが、かつての学者の大多数は火山の噴火口である、と考えていた。
 自然科学において、あることが特別であると思っていても、もっと大きなパースぺクティヴのもとにおいてみると、実はどこにでもあることであったと気付くことがある。宇宙の歴史の中で地球だけが特別な存在ではなくて、地球で起きたことは宇宙のどこかでも起きた可能性があり、宇宙のどこかで起きたことが地球で起きただけだ、というように、地球で起きている生命世界のことも一般化して考えることが大切だ。そう考えてみないと、どうしてこんなに宇宙空間に有機物があるのか、などといったことがわからない。

文責:小林誠
全体像の把握を必要とする人間の認知能力(1)

 網膜はすべての点で均一に光を感知するわけではない。網膜の中心には黄点という場所があり、ものを正確に見ることができるのはこの部分のおかげである。逆にこの黄点の動きをトレースすることにより、視線がどこにいっているのかを知ることができる。
 この技術を使って被験者に一枚の絵を見せて、その視線の動きを記録する。次にその視線の動きのとおりに絵の上で小さな窓を動かして、その窓を通して絵を被験者に見せる実験を行なう。つまり被験者は黄点だけで絵を見ることになり、全体を一度に見ることはできない。
 この小さな窓を通して被験者に何度同じ絵を見せても、被験者は何の絵だか全く分からない。つまり人間の認知には黄点からの正確で細かい情報だけでなく、黄点以外の部分からの周辺的な情報も必要だということが分かる。しかし被験者に見た絵を描いて再現してくれ、というと自分の記憶をたどってかなり正確な絵を書くことができる。

全体像の把握を必要とする人間の認知能力(2)

 時計、オレンジ、バナナというように、一枚のカードにそれぞれ別のものの絵が描かれた三枚のカードを用意する。被験者にこの三枚のカードを見せて、どういう分類法でもいいから二枚と一枚に分けてもらう。この実験を読み書きのできるグループとできないグループに行なってもらったところ、読み書きのできないグループはもっぱら色による分類(時計とオレンジは同じオレンジ色、バナナは黄色etc.)を行なったのに対し、読み書きのできるグループはものの形や機能などによる概念的な分類(時計とオレンジはどちらも丸い、オレンジとバナナはどちらも食べられるetc.)を行なった。
 色による分類のように即物的、感覚的な分類に対し、形や機能による分類はものの概念的な把握を必要とする。私たちは読み書きを習うことによってコンセプトを通して物事を認識し、世界を把握することができるようになる。人間は認識対象を周辺事実、あるパースペクティヴの中においてその全体像を見ない限り、ものを見ても何であるのか分からないのである。

文責:武田仁